2.毛織物産地・尾州で生きるガラ紡
毛織物からガラ紡へ
▲木玉毛織の工場。多いときは150人が働いていたという、一宮でも屈指の規模を誇ります。
▲木玉毛織ののこぎり屋根。
愛知県一宮市は、
毛織物の一大産地「尾州(びしゅう)」の中でも
とくに織りを担当する機屋(はたや)が多いエリア。
その証が「のこぎり屋根」と呼ばれる、北窓の三角屋根。
布の色を正しく見るため、
北向きのやわらかい明かりが必要だったとか。
一宮市を車で走ると、
いたるところにこののこぎり屋根が見られます。
木玉毛織にも、長く連なるのこぎり屋根があります。
創業明治28年。長い間、婦人物の生地を得意とする機屋でした。
「でした」というのは、今ではすっかり毛織物からは撤退し、ガラ紡に転換しているから。
それが2008年のこと。木玉毛織がガラ紡と出会うのは、その少し前に遡ります。
▲現社長の木全元隆さん。株式会社になったのは、祖父の木全玉三郎さんの時代。名前を取って、社名は木玉毛織になったのです。
「もう20年くらい前かな。バブルがはじけて、
大量生産大量消費が一気に落ち込んで、
中国からは安いもんが入って来るし、
競争ばかり激しくって機屋では儲からんと。
何か違うもの、みんながあまりできないものをやりたい
というのがスタートですよ」と言うのは、
4代目となる社長の木全元隆(きまた もとたか)さん。
当時仕事でお世話になっていたニット生地メーカー「日清ニット」から
同じ愛知県の岡崎にガラ紡というものがあるという話を聞き、
一緒に一度見に行くことになったのだとか。
ガラ紡が発明されたのが明治6年。
その数年後には岡崎を含む愛知県の三河地方が
ガラ紡を使った紡績の一大産地になりました。
効率よく均一な糸ができる洋式の機械が登場するや、ガラ紡は競争に負け、
屑糸を集めて再生するための機械として細々と使われるだけになっていたとか。
再生糸は軍手や靴下に使われていましたが、
それももっと安く効率的にできる方法が見つかると、
ガラ紡は一気に衰退してしまいます。
社長の木全さんがガラ紡に関心を持ちはじめた頃には、
すでにガラ紡工場は数軒しか残っていない状態に。
そんな中、新たに廃業する工場があり、
日清ニットがガラ紡を買い取ることになったのです。
木玉毛織が場所を提供し、一緒にガラ紡をはじめることになりました。
ガラ紡は本来綿(めん)から糸を紡ぐために発明されたものでしたが、
「うちは毛織物の産地だから、ウールで研究しようとやりかけたの。
でも、どうしても太くなってしまうし、強度の関係で単糸(たんし)では織れず、
2本を撚った双糸(そうし)になる。当然厚いものしかできない。
そうすると売れるシーズンが短か過ぎて難しいんです。
ウールにシルクを入れることも試したけれど、なかなかうまくいかない」と
数年試行錯誤を重ねたとか。
ちょうどその頃、木玉毛織は機屋をやめることに。
「いよいよ儲からなくなりましてね。
人は全部辞めてもらって、私1人になって、
工場の場所を他に貸す不動産管理だけをやることに。
ガラ紡の機械を遊ばせていてもしょうがない、
1人で簡単にできるようにもうウールはやめて綿にしよう、
時代はエコだから、綿ならオーガニックコットンを使おう
ということになったんです」と社長。
ここからの創意工夫が、木玉毛織ならでは。
軽くてあたたかく、肌ざわりがやさしいという魅力あるガラ紡糸、
そして今のガラ紡人気へとつながっていきます。
毛織物の技術をガラ紡で生かす
-
▲下から上へ単糸、双糸、カベ。
-
▲単糸に綿糸が絡まっています。
ガラ紡で紡いだだけの糸は単糸。
撚りが甘いから引っ張っただけですぐにちぎれてしまい、
布に仕立てるのが至難の業でした。
「これを丈夫にしようとすると2本撚る。撚ったものが『双糸(そうし)』。
ただそうすると太くなり過ぎてしまうので、
考えたのが毛織の世界でもともとあった『カベ』にするということ。
ガラ紡による単糸に、いわゆる一般的な紡績機で紡いだ普通の細さの綿糸を撚ることで、
単糸に綿糸が絡んで波打ちます。
これがカベで、強度が増すうえに膨らみが出て、
ただの単糸よりも余計空気を含みやすくなったんです」と専務。
木玉毛織はガラ紡で単糸を紡ぐところまで。
撚るのは「撚糸(ねんし)」といって専門の職人に外注しています。
▲上から単糸の平織、カベの平織、カベのワッフル織。糸、そして織り方によって、仕上がる布の表情もさまざま。
織り上げた布の風合いも、カベを使うと
単糸だけのものより手触りがやわらかくボリュームが出ました。
さらにワッフルという織り方にすると、一段とふわふわ感が増します。
織る際も、「ガラ紡は空気を含んだ糸なので、
普通の糸のときのように密度を詰めるとぽんぽこぽんになってしまう。
よさを活かすためには、ちょっと規格を甘くする」と、
織り手による絶妙な加減で調整しているとか。
「スノアンドモリソン」の羽衣のような「ストール」も、
木玉毛織の今まで培ってきた毛織物の技術があってこそ実現したものなのです。
紡績からものづくりまで
▲工場の事務所の一画にある自社ブランド「ニコリ/nicori」のショップ。
ガラ紡をやるにあたり、機屋だった頃と大きく変わったのは、
木玉毛織自身が製品づくりに関わるようになったこと。
「ただガラ紡で糸をつくって売ってもしょうがないなと。
糸がたくさんできないのであれば、製品をつくりたいと思ったんです」と社長。
産地の昔からのやり方は、専業による分業制。
それまで婦人もののウールの生地を織っていた木玉毛織も、
生地から先は手が離れてしまうため、製品づくりはまったくの素人。
それでも「スノアンドモリソン」の製品に携わる傍ら、
自社ブランド「ニコリ/nicori」もはじめました。
特色あるガラ紡の噂を聞き、
大手のアパレルメーカーから依頼が来ることもありましたが、
「ほとんどお断りしたの。たくさんできんもん。
それとね、我々が機屋をやめたのは自分たちの値段が通らなくなったから。
だからやるなら、ガラ紡の価値をきちんとわかって、
採算とれる値段を認めていただける人とやりたかったの」と社長。
「スノアンドモリソン」はそんなブランドだったのです。
産地の再生と共に
社長1人ではじめたガラ紡でしたが、
「ニコリ/nicori」をはじめるにあたり娘さんが加わり、
さらに2019年からはかつて一緒に働いていた従弟である専務が戻ってきました。
▲ガラ紡デニム。一般的なデニムよりやわらかい履き心地に。
1人のときには手が回っていなかった、ガラ紡糸を使った新しい生地も開発。
さらに、2019年には「びしゅう産地の文化祭」というイベントを
木玉毛織の敷地を使って開催しました。
実は木玉毛織の大きな工場のうち、ガラ紡関係で使用しているのはほんの一部。
残りは引き続き不動産業として他社に貸し続けています。
借りてくれるところなら、業種に限らず貸し出していました。
一時は相撲部屋が借りていたこともあったとか。
それがここ数年、期せずして毛織物の機屋や、ニット会社、縫製会社、
さらには機械を修理したり部品を扱う機料屋と、繊維にまつわるところばかりが店子に。
▲木玉毛織の工場の一部が「尾州のカレント」のショールーム的役割も。
その関係で知り合ったのが、
尾州にある繊維会社の若手社員が結成した
産地活性サークル「尾州のカレント」でした。
「カレント」とは水の流れという意味。
毛織物の産地である尾州の分業や流通を表しています。
縮小しつつある尾州産地の新しいあり方を模索しながら、
企業の枠を越えた活動を行っています。
▲写真左は、「尾州のカレント」の代表を務める大鹿株式会社の彦坂雄大さん。
「びしゅう産地の文化祭」では、産地のさまざまな会社の製品の物販や、
木玉毛織に入っている会社の工場を開放。
説明つきで見学ができるようにしました。
「木玉毛織は一遍死んだんですけど、わけあって生きながらえて
この場所を活かして何か楽しいことができないかって。
そうしたら出会いがあって」とうれしそうに社長が言います。
文化祭のアイデアも「尾州のカレント」との出会いがあってこそ。
新たに開発したガラ紡デニムも、彼らが企画するプロジェクトの中で
ズボンとしてお客様のもとに届くことに。
製品づくりやお客様のニーズについて、「いろいろ教えてもらっているの」と、
専務も若い人たちのアイデアや行動力に感心している様子。
今では、工場の一部が「尾州のカレント」のショールームのような役割に。
木玉毛織の工場内が、さながら尾州産地の縮図のような様相です。
-
▲「尾州のカレント」でイベント出店したときにつくったのこぎり屋根ディスプレイ。
-
▲「びしゅうのズボン」というプロジェクトで、「尾州のカレント」に参加している会社の布でズボンがつくれるというもの。木玉毛織はガラ紡デニムを出品。
「尾州は、分業で生きてきたから、どこがなくなっても困ってしまう。
木玉毛織は100年以上この場所でやってきて、
一度死んだけれどもまた生き返らせてもらった。
その恩返し的な考えもあるんです。自分がいいだけではいかん」と専務は言います。
斜陽に追いやられていたガラ紡に
オーガニックコットンやカベにするという
新たな魅力と価値を加えて生きかえらせた木玉毛織。
ガラガラとゆっくり回り続けるガラ紡が、
今また木玉毛織に新しい風を呼び込んでいるように思えます。
▲専務の木全育睦さん(左)と、社長の木全元隆さん(右)。
木玉毛織のロゴには「K」と「T」のアルファベットに翼が生えています。
「世界に羽ばたくという意味ね。羽ばたけませんでしたけど」と笑う社長。
いえいえ、もっともっと羽ばたいていく様子が目に浮かぶようです。
尾州の産地と共生しながら、これからもさらに、
ガラ紡の魅力を私たちに届けてくれるでしょう。