2020年10月公開
美味しい日本茶が淹れられる機能性に、過度な装飾のないシンプルな佇まい。
玄人から日本茶初心者まで
あらゆる人に受け入れられる急須をつくる「南景製陶園」。
“ほっと安らぐお茶の時間”を届けるために、
急須を通して日本茶の魅力を伝えている窯元です。
三重県四日市市にある工房を訪れると、
そこにはものづくりに真摯に向き合い、
挑戦していく熱意ある職人たちの姿がありました。
1.南景製陶園の急須
南景製陶園のあゆみ
▲積まれた石垣の上に工房が建っています。そして工房の目の前は一面に田んぼ。
名古屋駅から近鉄線に乗り、四日市駅の少し手前、霞ヶ浦駅で下車。
そして駅から5分ほど歩くと、田んぼや住宅、少し奥には工業地帯の煙突が見える
のどかな場所に「南景製陶園(なんけいせいとうえん)」はありました。
▲工房は横に長い2階建て。機械ろくろが作動する音が漏れ聞こえてきます。
敷地内を進んでいくと、右手に工房、
左手には急須や茶器などの販売や
南景製陶園の急須で淹れたお茶を楽しめる
「870(ハナレ)」と名づけられた茶店があります。
活気ある工房と静かな雰囲気漂う870の相反する佇まいに、
思わず足を止めて眺めていると、
南景製陶園5代目の荒木照彦(あらきてるひこ)さんが
出迎えてくれました。
▲敷地内には、商品の販売や南景製陶園の急須で淹れたお茶が楽しめる「870(ハナレ)」があります。一般の方でもご利用いただけます。
▲南景製陶園5代目・荒木照彦(あらきてるひこ)さん。
南景製陶園は1945年に陶土屋(とうどや)として創業。
山で掘ってきた土を水でかき混ぜて
ゴミや不純物を取り除く「水簸(すいひ)」という方法で、
陶器づくりに使う粘土を精製していました。
その後、「急須といえば、三重の萬古に愛知の常滑」と
古くから語られる地に工場を構えていたこともあってか、
1972年には急須、茶器などの
製陶業に移行したといいます。
現代表の荒木さんは陶土屋から数えると5代目、
窯元としては3代目。
人手が足りず、今は土づくりは行っていませんが、
陶土屋だった経験を生かして土からこだわった
オリジナルの急須や湯呑などの製品を手掛けています。
▲取材を始める前にお茶を一杯。取材当日は汗ばむ陽気だったので、少し渋味の残るキリっとした水出しのお茶を出していただきました。
▲中国の茶器をイメージしてつくられた「ソギポット」は、中国茶や紅茶だけでなく、緑茶にも使える南景製陶園オリジナル。
▲「菊型粉引急須」は昔からあるかたちをそのままに、より使いやすく、美味しいお茶が淹れられるよう、内側の茶こしにステンレスの底網が採用されています。
今では急須・茶器メーカーとして知られていますが、
2000年代初頭までは、他社のブランド製品をつくる
OEMが中心でした。
「うちに限ったことじゃなくて、萬古は商業産地なので
独自ブランドを持たない製造卸や
OEMがこの地ではほとんどだったんです」と荒木さん。
1980年代以降、多くの窯元が減産により廃業する中、
荒木さんが着手したのは、独自ブランドの構築や
オリジナル製品の開発、
これまで定番品としてあった急須の見直しでした。
「家業に入ったときに、最初に感じたのは
自分がほしいと思う急須をつくっていないということ。
使いたい、ほしいと自分が心から思えないと
これから先、続かないというか熱意を持てないというか、
そんな思いがありました。
だから自分にとって指針となるような、
ほしいと思える急須を
一つかたちにしようと思ったんです」
正式に後を継ぐまでは10年ほどの修業期間があり、
その中で、どんな急須にするかという構想からはじまり、
試作を重ねてかたちにしていったのだそう。
そうして完成したのが、
今では南景製陶園の主力商品でもある、
鉄分の多い陶土で炭化焼成してつくられている
無釉の「黒くすべ」シリーズです。
▲2011年に商標登録された、南景製陶園のブランド名「万事急須(ばんじきゅうす)」。万事休すなときでも、急須でお茶を淹れる。そうすることでお茶の薬効が心を癒し、その所作に心も静まる。日常のどんな瞬間でもお茶を淹れたくなる、そんな瞬間を届けたいという想いが込められ、さまざまな急須がつくられています。
“シンプルイズベスト”のものづくり
▲黒くすべは、かたち・サイズが異なる全3種類。左から「杏(あんず)」、「鉄鉢(てっぱち)」、「芙蓉(ふよう)」。
「自分がほしい急須をつくろうと思ったときに一番大切にしたのは
うちの社訓でもある“シンプルイズベスト”という考えです」と荒木さんは言います。
つまり、何事もシンプルに行う、ということ。
作業などはもちろんですが、その考えがものづくりにも反映されています。
「すべて0(ゼロ)から考えて、急須にとって本当に大切なものは何か、と自問自答しながら
商品をかたちづくっていくんです。
急須はお茶を淹れるための“道具”なので
一番大切なのは、お茶を美味しく淹れられる機能性。
そんな当たり前ともいえる単純な考え方を大切にしています」。
荒木さんにとって急須をつくるうえで一番重要なのは、
美味しいお茶を淹れられるかどうか、ということ。
そこに次に大切なこととしている、食卓にずっと出しておきたくなる、見た目の美しさ、心地よさを
同時に成立させることが黒くすべの課題でした。
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▲穴が空いたドーム型の陶製茶こしを「共茶こし」といいます。
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▲細やかなステンレス製の茶こし網が急須の底を覆うように取りつけられた「底網」。この網よりも下に注ぎ口につながる穴があるので、茶葉が詰まる心配もありません。
まずお茶を美味しく淹れる上で最も大切なものが、急須の内側に隠されています。
黒くすべの内部には、古くからある「共茶こし」と
1975年に開発され、cotogotoでも販売している
急須の底面を覆うようにステンレスの網が取りつけられた「底網」の
2種類の茶こしを採用しています。
共茶こしは、急須本体と一体になった同じ陶製の茶こしのこと。
注ぎ口につながる部分に茶こしがついているので、
常に茶葉が湯に浸かっている状態になります。
そのため、同じ茶葉でも温度や抽出時間などの少しの差でお茶の味に変化が出てくるので、
淹れる人の技術も必要になってくる、という特徴があります。
一見敷居が高いように感じますが、
一種類の茶葉で味の幅が楽しめたり、どうしたら美味しく淹れられるのか、と
試行錯誤する喜びを感じられる茶こしです。
底網仕様の急須は「ベンリー急須」と呼ばれ、より手軽に美味しいお茶を淹れられるのが特徴。
細かいステンレス網を使っているから、細かい茶葉でも詰まる心配は無用。
また、底網は底面から数ミリ浮いていて、
ざるで湯切りするように茶葉からしっかり湯を切ることができ、
お茶の旨味を極限まで味わうことができるのです。
「底網の急須の使い方は、お茶を全部出し切ったな、と思っても
一呼吸おいて、もう一度急須を傾けること。
茶葉には思っている以上に湯が残っているので、全部出し切ってください」と荒木さん。
湯切りがしっかりできることで、茶葉が湯の中に浸かったままにならないので
二煎目からでもお茶の色が濁らずにきれいな色を出せる、という強みもあります。
「急須初心者の方や、深蒸しなどの細かい茶葉が好みの方は、底網を。
自分好みのお茶の味を追求したい方は共茶こしがおすすめですね」。
▲現代の家族構成の変化に合わせて、小ぶりなサイズも展開しています。「芙蓉(ふよう)」は1人分に丁度いい大きさ。
▲シンプルなデザインはどんな食卓にも馴染みます。写真は「杏(あんず)」。
急須の定番として食卓にあってほしい、という想いのこもった
黒くすべは凝ったデザインや加飾などはせず、どんな生活にも馴染む佇まいが魅力の一つ。
「芙蓉(ふよう)」、「鉄鉢(てっぱち)、「杏(あんず)」という3種類のかたちは
昔からある100種類ほどの急須の形状から、
サイズ感、佇まいの美しさなどの観点から採用されています。
そして凛とした上品さを感じさせつつ、親しみやすさもあるやわらかな黒は、
陶土にもともと含まれている鉄分が表面に現れた自然な色味。
生地には鉄分を多く含む陶土が使われていて、
釉薬をかけずに、鉄分が黒くなって表れる炭化焼成という方法で焼き締めています。
一般的な原料の粘土には吸水性があるので、水を通さないように釉薬をかけますが、
黒くすべに使われている粘土には鉄分が多く含まれているため
釉薬をかけずに焼いても水が浸透しにくいのです。
「色合いやかたちの歪み、割れなどが起きないように焼くために、
窯の温度や火にかける時間を変えて何度も試作を繰り返しました。
焼き締めの工程だけでいうと、約3年くらい試作を繰り返していましたね」と
荒木さんは振り返ります。
この炭化焼成という焼き方は、お茶の味にも大きな影響を与えます。
特に内側に釉薬がかかっていないことで、その表面の細かな凹凸が
お茶の渋みを程よく緩和し、まろやかで美味しいお茶へと変えてくれるのです。
茶葉の旨味をいかに抽出できるかは、道具の差。
南景製陶園の急須なら美味しいお茶を淹れられるのは当たり前のこと。
そこに各家庭での生活スタイルやお茶の楽しみ方に合わせて
機能性やデザインを選べるプラスアルファの要素を加えているのです。