HASAMIと馬場商店の工房を訪ねて | 工房訪問 | cotogoto コトゴト- ページ3

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HASAMIと馬場商店の工房を訪ねて

3. ゼロからはじめた3代目の挑戦


ブロックマグ


各分野の優れた技術をもつ波佐見の職人と組み、ものづくりに取り組むマルヒロ。
1957年に馬場さんのお祖父さんが「馬場廣男商店」として創業して以来、
60年近い歴史をもっています。
しかし、7年前には倒産の危機も経験したそう。
それを救った人物こそ、3代目の馬場さんなのです。

馬場匡平さん


馬場さんは1985年生まれの31歳。
高校卒業後に実家を離れ、福岡でアパレル関係の仕事や、
エレベーター設置のアルバイトなど、いわゆるフリーター生活を送っていました。
そんな馬場さんのもとを、マルヒロの2代目であり社長のお父さんが突然訪れます。
「ある日曜日の朝、友達と住んでいた福岡の部屋に、急にやって来たんです。
そして戻ってきて欲しいって言われて」。

当時のマルヒロは売上が過去最悪を記録し、八方塞がりの状態。
お父さんは、最後の望みを馬場さんに託そうと考えたのです。
しかしその時、そのことを馬場さんには伝えなかったのだとか。
馬場さんは「ちょうどバイトを辞めようかと思っていたところだし、そろそろ帰らんばねぇ~」と
何の疑いももたず、気楽な気持ちで波佐見に戻ります。

マルヒロに入った後も、切羽詰った経営状況にピンときていなかった馬場さんですが、
ある展示会に出展したときに、はじめて焦りを感じます。
「3日間で20万人が来場するような展示会で、5人としか名刺交換できなかったんです。
全然興味をもってもらえなくて、これはやばいぞとようやく自分でも気付きました」。
とはいえ、馬場さんもお父さんもどうしたらいいのかわからない状態。
ワラにもすがる想いで、お父さんは老舗麻織物メーカー「中川政七商店」の
13代目・中川淳さんにコンサルティングを依頼します。
中川さんは新ブランドを立ち上げて自社の再建に成功し、注目を集めていた人物でした。

よくわからないまま、お父さんに連れられて中川さんとはじめて会ったとき、馬場さんはまだ24歳。
なんと跡継ぎの立場ながら、経営や焼きものの知識はゼロでした。
「親父は中川さんと新ブランドを立ち上げたいと言っていましたが、
まだ当時は世の中的にも、陶磁器のブランドの概念があまりなかったのもあり、
『ブランドって何?ヴィトンとかやるの?』って思ってたくらい無知でした(笑)」。
そんな馬場さんでしたが、お父さんから
新ブランド設立と会社の再建を一手に任されることになります。
自分にできるのだろうか。できればやりたくない。それが第一印象でした。

たくさんの不安を抱え、どこか自分ごとにできないままはじまった
中川さんとの新ブランド立ち上げ。
基本的に、中川さんはアドバイスを与えるだけで、
考えるのは馬場さんや新里さんのマルヒロチームでした。
新里さん曰く、当時の馬場さんはあまり自分の意見を言わず、無難な方向に進めがち。
新ブランドに失敗したら確実に倒産するという窮地のなかで、
馬場さんも無茶はできなかったのでしょう。
「当時の中川政七商店のテイストにあわせれば、
中川さんのお店でも取り扱ってもらいやすいから、すんなり上手くいくはず。
そう考えて、失敗しないように、楽なように考えていましたね」(馬場さん)。

その結果、“最も失敗しなさそう”に思えた、
薄くて繊細、ナチュラルテイストな器を、新ブランドとして立ち上げることに決めるのです。

やりたいことをやり抜く覚悟

HASAMI


腰が引けていた馬場さんを変えたのは、馬場さんより長くマルヒロに勤める新里さんでした。
「実は、進めていたテイストは全く僕の好みではなくて、興味をもてなかったんです。
そんな気持ちに気付いていた新里に、
『本当にこのままでいいの?興味ないものを続けていけるの?』って言われて」(馬場さん)。
「私は一社員ですが、匡平くん(馬場さん)は跡継ぎの立場で、
この先このブランドをずっと背負っていかなければいけないですよね。
そんな状況を考えたときに、このままで大丈夫なのかなって思ったんです」(新里さん)。

馬場さんだけでなく、新里さんやマルヒロチーム全員が追い詰められ緊迫した状況。
立場は違いますが、新里さんなりに考え、思い切って口に出した言葉。
その一言が馬場さんの目を覚ましました。
「中川さんに『やりたいことをやり抜くのが、ブランドをつくること』って言われていたんです。
その意味を考え直し、もう一度振り出しに戻る覚悟を決めました」。
自ら中川さんに電話して本心を伝え、自分の足で動きはじめます。

HASAMI


とはいえ、これまでデザインやものづくりの経験がなかった馬場さん。
いざ商品をつくるとなっても、やり方が全くわかりませんでした。
そこで、馬場さんは自分の周りにいるような、陶磁器に興味が無い友人たちをターゲットに設定。
普段料理をせず、食器にこだわりがない人たちに、どんなデザインなら買ってもらえるか。
洋服を選ぶように、かっこいいと思って手にとってもらえるか。
そんな馬場さんと好みのテイストが重なるような、身近な人たちに焦点にあわせて、
自分ごととして想像を膨らませます。

こうして湧き上がってきたイメージと、
波佐見焼の強みである「ガシガシ使える丈夫な日用品であること」を組み合わせて
浮かび上がったのは、「道具」や「無骨」いった
今まで考えていたテイストの器とは正反対の言葉。
当時の流行とは異なりましたが、自分を信じて突き進みます。

実は「HASAMI」というブランド名は、中川さんが決めたそう。
「正直恥ずかしいから、それだけはやめて欲しいと思いましたよ(笑)。
でも400年も歴史があるのに、波佐見焼の名前が知られてないこと、
そして長すぎず短すぎず、覚えやすい3文字というバランス感などから、
HASAMIが絶対に良いって論理立てて言われて。
なるほどと納得せざるを得なかったんです」。
最初こそ仕方なく……といったところでしたが、
自らHASAMIと名乗ることで、次第に波佐見を背負う自覚が芽生えてくるのです。

産地に根付く信頼関係

馬場さんの想いを受け止め、支えてくれたのは、波佐見の職人の皆さんでした。
マルヒロに入り、HASAMIを立ち上げるまでは、焼きものの知識も皆無だった馬場さん。
「そもそも親父の代までは、問屋は焼きもののつくり方を知る必要はなかったんです。
窯元がつくったものを、そのまま買って販売することが仕事だったから。
でも窯元のおっちゃんに、本気で自分のブランドを立ち上げるなら、それじゃあダメだ。
つくり方を知っていた方が絶対にいいからって叩きこまれました」。

敏彩窯・小林さんと馬場さん。

▲敏彩窯・小林さんと馬場さん。


皆が口を揃えて「何もわい知らんね(何にもお前は知らないんだね)」と言うくらい、
本当にゼロの状態だった馬場さん。
「だって、何も知らなくて当たり前ですよね?
そう開き直って、“何も知らないのが売り”くらいのつもりで、
恥じること無く基礎から教えてもらいました」。

敏彩窯の小林さんは当時を振り返り、
「普通だったら、『この若造が!』となりそうなところも、
彼のキャラクターと熱意のせいか、つい教えてあげたくなるんです。
人懐っこくて、自然とこっちが惹きこまれちゃったんですよね」と苦笑い。
「私も大量生産、大量消費されるだけの器じゃなくて、
もっと個性のある、自分にしかつくれないものをつくりたいという想いをもっていました。
匡平とはその姿勢が合致したんです」と、馬場さんの挑戦を後押しする理由を語ります。

実際につくり方を学んだことで、
小売店などからつくりたいものの相談があった際に、その場でそろばんをはじくことができたり、
波佐見の技術ありきで商品を開発したりすることが可能に。
「ある職人さんが、ものすごく薄い器をつくる技術をもっていることを知って、
それを活かした商品が生まれたことも。
アイデアの引き出しが増えました」と馬場さんは胸を張ります。

型屋の岩永さんと馬場さん

▲型屋の岩永さんと馬場さん。


実は、型屋の岩永さんも、敏彩窯の小林さんも、
現在も社長を務める馬場さんのお父さんの同級生。
ざっくばらんに本音をぶつけあう姿は、本当の親子のようです。
「めんどくさい親父が何人もいるようなもんです」と茶化す馬場さんに、
「仕事上の息子みたいなもんですよ」と岩永さんも嬉しそうに返し、2人の関係性が垣間見えます。

「匡平(馬場さん)が私の息子と付き合い、
また次の代も……と、脈々と続くつながりがここにはあるんです。
“育てている”というつもりはないけれど、自然な流れの中で、
代々お互いが育て、育てられという関係になるんですよね」と小林さん。
そうした関係性こそが、脈々とものづくりが続く“産地”なのだと、馬場さんも頷きます。

波佐見の風景


馬場さんの現在の仕事の中心は、「パトロール」なんだとか。
「ほとんど会社にいることはなく、窯元などつくり手に会いに行って
『調子はどう?』って声をかけて回ってます」。
「電話だけで済ませることもできるけど、
それだと電話口の人とだけしか話せないでしょ。
そうじゃなくて、窯元で細かい作業をしているおばちゃんとか、
出入りしている釉薬屋さんとか、みんなと直接話したいんです」。
たくさんの人々の協力があってこそ、成り立つ産地問屋の仕事。
一人一人とコミュニケーションをとり、信頼関係を築くことに重きを置いているのです。

取材中も行く先々で知り合いに会い、
仕事の話はもちろん、家族の話をしたり、飲み会の約束をしたり。
「今の仕事をはじめて、町内外にたくさんの友達や仲間ができたんです。
それが何より嬉しいですね」と顔を輝かせます。
こうした関係性こそが、馬場さんの大きな原動力になっているようです。

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