野田琺瑯の工房を訪ねて
2. 琺瑯愛が支えた歴史
今でこそ、常備菜の保存にホワイトシリーズを使ったり、琺瑯のケトルでお湯を沸かしたり、
暮らしのなかに琺瑯があることは一般的になりましたが、野田琺瑯の歴史は山あり谷あり。
70年代の琺瑯のブームという大きな山から、約20年間に渡る長い不況の時代を乗り越えて、
台所の定番になったのです。
好きだから、やめられない
▲戦後間もない頃から、野田琺瑯の歴史とともにある「ホーロータンク」。12〜40cmまでの11サイズ展開です。
野田琺瑯の歴史は、戦前の1934年に遡ります。
創業当初は東京の江東区に構えた工場で、輸出用の皿やボールなどを製造していました。
戦後、現在でも生産されている青い「ホーロータンク」が生まれ、
ぬか漬けや梅干しなどの保存食をつくるための容器として一般家庭の台所に普及します。
そして、1971年頃から琺瑯業界は最盛期を迎えます。
「結婚式の引出物と言えば、琺瑯の鍋がお決まりという時代がありました。
私どもは当時、ホーロータンクや漬けもの容器の生産が
昼夜交代で働いても追いつかないくらいだったんですよ」と、
ちょうどその頃、野田家に嫁いできた善子さんは振り返ります。
しかし、ステンレスやプラスチックなどの他素材が出回り、琺瑯業界は徐々に衰退。
1990年代前半には、バブル崩壊の影響を受け、
一時は国内で70社以上あった琺瑯メーカーの数は激減。
生産拠点を海外に移したメーカーも少なくありませんでした。
野田琺瑯も東京と栃木の3箇所にあった工場のうち、東京工場を閉鎖。
それでも、琺瑯の火を絶やしてはいけないという想いで、
厳しい状況下でも続けることを選びます。
その理由を尋ねると「琺瑯が好きですから」と、善子さんはきっぱり。
語りきれない辛い事がたくさんあったはずです。
しかし野田琺瑯は、琺瑯が持つ力を信じて、
変わらず誠実なものづくりを続けるとともに、次の一手となる商品開発に注力。
再び脚光を浴びる機会を探ります。
現代の暮らしにあった容器の開発
2002年、野田琺瑯は画期的な新商品を発売します。
それが「ぬか漬け美人」でした。
元々、1976年に「漬けものファミリー」というぬか漬け専用容器を発売し、人気を博していましたが、
生活様式が変化するにつれ、急に売れなくなってしまったとのこと。
「最初は、みんなぬか漬けが嫌いになってしまったのかしらと思ったのですが、
漬けもの屋さんで聞いて調べてみたら、どうも違う。
気密性が高い集合住宅が増えるなど、住宅環境の変化により、
家の中に大きなぬか漬け容器を置ける涼しいところがなくなり、
頑張って漬けても失敗させてしまうのです。
その結果、ぬか漬けは自分でつくらず、
買ってくるという人が多くなったということに気が付きました」(善子さん)。
変化する日本の家の中で、
ぬか漬けをつくれる場所はどこだろうと思い、
行き着いたのは冷蔵庫。
「冷蔵庫で漬けてみたら、時間はかかるけれど、
失敗せずに上手にできたんです。
おまけに温度環境が安定しているので、
毎日かき混ぜる必要がなく、
現代の忙しい人でも気軽にぬか漬けがつくれる。
これはいいなと思いまして」。
▲ちょっと残った野菜を漬けておくだけで美味しくなるから、野菜を一度に使いきれない核家族や忙しい人にもぴったり。白米を食べている人にとって必要な栄養素が含まれています。
冷蔵庫という狭い空間にぬか漬け容器を入れるとなると、問題になるのはサイズです。
「料理をする人にとって冷蔵庫は、宝箱のように大事な空間ですよね。
だから棚板を動かさないと入らない……なんてことは、絶対に避けたいと思ったんです」。
その結果、善子さんは自らメジャーを片手に家電量販店に行き
様々な冷蔵庫の棚の高さを測ってまわったそう。
そして比較的小さめの冷蔵庫でも収まるサイズを編み出したのです。
こうして、発売までに4年の年月がかかりました。
善子さんの徹底したこだわりが詰まったぬか漬け美人は、
今の暮らしにあった新しいぬか漬けのかたちとして、徐々に人気を集めます。
2003年には、ぬか漬け美人と並行して構想を練ってきた
「ホワイトシリーズ」が誕生します。
きっかけは、「冷蔵庫で食材や料理を保存するための容器が欲しい」という善子さんのアイデアから。
「下ごしらえをした野菜や、つくり置きのおかずを冷蔵庫で保存しておくには、
場所を有効活用できる蓋付きの容器がいい。
琺瑯は保冷効果も優れていて冷蔵庫との相性も抜群ですから、
琺瑯製で蓋が付いた容器が欲しい」と、浩一社長に伝えたのです。
色は食材が映え、清潔感がある白と決めていた善子さん。
しかし、それまでの琺瑯容器と言えば、カラフルな色や絵柄付きのものがほとんどで、
白い容器というアイデアは、社内での反発も多かったそうです。
「営業(息子の靖智さん)も、真っ白な琺瑯なんて、
病院で使われる衛生用品のイメージがあるから売れないよ、って言ってね」と笑う浩一社長ですが、
「少量でも生産できるのがうちの良さだから、少しずつやってみようか」と善子さんを後押しします。
生産を始めてみると、縁あっていくつかの店で取り扱いが決まります。
その後、料理研究家やスタイリストの愛用品として書籍や雑誌で取り上げられ、問い合わせが急増。
シンプルで丁寧な暮らしを見直す風潮とも重なり、一躍、大ヒット商品となりました。
また同じ頃、1980年代から製造を請け負っていた、
生活用品全般を扱う「株式会社フジイ」のオリジナルブランド
「月兎印」の商品である「スリムポット」の製造の様子が、雑誌で取り上げられ話題に。
ホワイトシリーズと合わせて広まり、
全国の家庭で忘れかけられていた琺瑯の魅力が再認識され、
幅広い層に野田琺瑯の名前が知られるようになりました。
そして、ホワイトシリーズは発売から10年後の2013年には、
「グッドデザイン・ロングライフデザイン賞」を受賞。
日本の暮らしを支えてきた
「すぐれたデザイン」であることが公に認められたのです。
本当に必要なものだけを買える売り方
ホワイトシリーズが人気になった背景には、製品の良さだけでなく、売り方の工夫もありました。
ホワイトシリーズでは、レクタングル(長方形)の深型と浅型、
スクエア(正方形)、持ち手付きなど、様々なかたちを展開。
加えて、それぞれにS・M・Lなど複数のサイズがあります。
「普通、売り手としては大・中・小サイズがあるなら、3つセットにして売りたいものです。
だけど使う人の『必要なサイズのものだけ1つずつ買いたい』という気持ちを大事にしたいと思い、
別々で売ることにしたんです」(浩一社長)。
▲左から密閉蓋、シール蓋、琺瑯蓋。「お洋服のTPOと同じで、蓋も時と場合に応じて選んでください」(善子さん)。
さらに、当初プラスチックの「シール蓋」を付けて販売していましたが、
実際に使用するなかで、鍋の蓋のように本体と一緒に火にかけられる「琺瑯蓋」や、
汁漏れしない「密閉蓋」のアイデアが生まれ、製品化されます(浅型・丸型は除く)。
この蓋を単体で買えるようにしたのも同じ理由。
「蓋だけ欲しいのに、本体ごと買わされるなんて理不尽でしょう。
本当に必要なものだけを買って欲しいんです」と言う善子さんに、
つい、使い手としてうんうんと同感してしまいます。
そしてもう1つ。
すべての商品に、琺瑯の使い方を
具体的に書いた説明書を入れたのです。
下ごしらえの時のバット代わりに、
そのまま火やオーブンにかけて調理器具に、
酸や塩分に強いので漬けものやマリネづくりに、
冷蔵・冷凍したら直接火にかけて温めて……。
きりがないくらいある
便利なポイントを丁寧に記した結果、
琺瑯に親しみのない世代でも一目で
琺瑯の魅力や使用法が理解でき、愛用者が増えたのです。
こうして野田琺瑯は、80年以上、琺瑯一筋を貫いてきました。
商品のアイデアや売り方の秘密がわかったところで気になるのは、商品そのものができるまで。
鉄とガラスという、全く違う素材を組み合わせた琺瑯は、
一体どうやってつくられているのでしょうか。